弥勒:釈迦の後継者で、現在は兜卒天(釈尊がこの世に生まれる直前にいたとされる場所)で修行中。釈尊入滅してから56億7千万年後に現れて人々を救うとされる菩薩。未来に必ず成仏することから「未来仏」「当来仏」ともいわれ、菩薩でありながら、弥勒如来とか弥勒仏と呼ばれることもある。
 

 
 
そんなことは、正直どうでもいい。罰当たりもいいところだが、本当にそれが珊瑚の正直な気持ちだ。だって、「弥勒」がいくら凄い人であろうと珊瑚にとっての「弥勒」は未来で人々を救ったりしない。どこか遠くで修行もしていない。いつも隣で微笑んでくれて、手を握ってくれる男。たしかに村人を救ったり、説法を熱く語りだしたりもするけど、ただの「人」。それが弥勒。
  
ちなみに、かごめの国では色んな宗教の色んな神様の色んな情報が簡単に知れるらしい。それって、有り難味もなにもないんじゃないか?疑問に思うけど、かごめにはかごめの世界があるんだろう。疑問に思ったことを1つ1つ聞くと困らせてしまうから、やめておこう。
だいたい、今珊瑚にとって重要なのはそんなことじゃない。弥勒の名の意味も今はどうでもいい。どうでもいいは言いすぎだけど、ちょっと横に置いておきたい。そりゃあ、未来仏と言うからには、きっと両親の深い願いと愛が篭っているんだろう。それを考えたら、ちょっと胸が熱くなる。だけど、それはまた今度。今は違う。違うんだ!
 
「で、珊瑚ちゃん。決心はついたの?」
「つ、つかない」
   
横でかごめが呆れたように、小さな溜息をついた。
そりゃあ、呆れたくもなるだろう。こんな風にあーでもないこーでもない、と御託を並べだしてからかなり長い時間が経っている。キッカケは些細なことだ。遠くに弥勒の姿を見つけて、「法師様」といつものように呼んだら近くに居た別の「法師様」まで振り返ってしまった。じゃあ名前で呼べばいい。ただ、それだけのこと。それだけのことだったのに。
  
「簡単よ。ミ・ロ・ク・さま。」
「み…、みろ…く、さま」
  
「もっと大きな声で。ハイ!」
「み!…ろくさま」
  
さっきから少し前を歩く彼の肩が小刻みに震えてる。振り向いてくれない優しさ。でも、そんなに笑ってるんじゃ全然優しくない。弥勒の肩にいる七宝までもが、とうとう呆れた顔をしだした。子供にまで呆れられるなんて情けない。たかが名前を呼ぶだけ。それだけのことが、どうして出来ないんだろう。
声に出さず何度も何度も、その大きな背中に呼びかける。弥勒様、弥勒様、弥勒様。どの村の女の子も、かごめですら簡単に呼びかける。なのに、どうして言えないんだろう。
  
  
結局、その日の夕暮れまで時間を掛けても珊瑚はその名を呼べなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「で?結局どうするんだ?これからは」
「うっさい。法師様は法師様」
 
ニヤニヤと意地悪く笑う、この男のどこが法師様でどこが弥勒様なんだ。珊瑚は泣き出したくなった。2人きりになった途端これだから手に負えない。2人でいるとき、この男ときたら普段の優しい笑顔なんて全く見せてくれない。助平で意地悪。普段の面影なんて、どこにもない。
 
「ふぅん。でもお前、いつも言ってるよ。弥勒弥勒って」
 
雲母みたいに擦り寄ってくる大きな体をどうにか受け止める。さすがに重たい。今日はなんだかやけに甘えん坊。だいたい、弥勒の言う意味がわからない。そんな風に名前を呼べれば苦労なんてしない。今日1日どれだけ気力を使ったか知らないからって、また適当なことを言う。ホント意地悪。
  
「なにさ。あたしがいつ言ってるって?」
「いつも」
「だから、いつ?」
  
「いつも、」
  
耳元で囁かれて、ドキンと胸が高鳴った。自分でも情けなくなる。こんな些細な仕草に一々どきどきして、毎度の様に頬が熱くなる。こうして彼が擦り寄ってくるようになってから、かなり経つというのに。どうしてか一向に慣れることはない。抹香の匂いにも、法衣越しの体温にも。溢れかえる色気に泣きそうだ。
 
「いつも、わたしの、腕の中」
「!」
 
「可愛い声で、弥勒弥勒と、呼んでくれるじゃありませんか」
  
どうりで意地の悪い顔をしていると思ったらこういうことか!その露骨な発言に恥ずかしくて言葉も出ない。わざと、ゆっくりはっきり告げられた言葉を理解するのは簡単だった。これの一体どこが法師で、どこが弥勒なんだ。未来で数多くの民を救うよりもまず先に、今この状況から助けて欲しい。
そんな珊瑚の思いを知ってか知らずか。いや、きっと知っているからこそなんだろうけど。弥勒はそのまま珊瑚の体を軽く押し倒した。ニヤニヤと法師にあるまじき笑い方。どうしよう、本物の弥勒さまもこんなんだったら。名は体を現すというし。
  
「呼びたいんだろ?どうぞ、思う存分。」
「よ、呼んでない!」
  
「覚えてないんですか?」
「覚えてないっ」
 
 
涙目の訴えも、弥勒には簡単に却下される。
 
 
 
「覚えてないほどわたしに夢中とは、男冥利に尽きるよ。」
 
 
 
本当に自分の気付かないところで「弥勒弥勒」と呼んでるんだろうか。後々になって思い返してみても、全くわからない。だって、最中の記憶なんて所々飛び飛びで自分がなにを口走ったかもわからない。今日も呼んでたかと聞いたら、弥勒はやっぱり意地悪い顔でニヤニヤ笑うだけだった。
 
 
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こんな法師が理想です。色気とアホさを振りまいて欲しいのです。