共に

妖怪退治の最中で、かごめや珊瑚に言い寄る男は少なくない。とは言っても大抵の男たちは犬夜叉や弥勒に一睨みされて撤退するけれど、中には諦めない頑固な者もいる。それだって、いざ本人たちにばっさりフラれれば間違いなく終了するのだけれど、どうやら今回の男は極めて稀に見る前向きな思考の持ち主だったようだ。
珊瑚に言い寄り、いくら弥勒が「わたしの婚約者だ」と言っても聞く耳すら持たない。法師という立場上あまり荒っぽいことはしたくないのだけれど、さあ一体どうしようか。やれ嫁に来いだの何だのと口説き続ける男と、いい加減に優しく断るのも疲れて「結構です。ホントに。」とスッパリ言い切る珊瑚。昨日から繰り広げられる相変わらずの光景を眺めて、弥勒は小さく溜息をついた。
  
   
村一番の大きな屋敷の長男坊。そりゃあ自分に対する自信もあるだろう。
どうにかこうにか男から逃げてきた珊瑚と、これまたどうにか村はずれまで来て、やっと2人きりになれた。この村へ来てたかが1日か2日だと言うのに「やっと」なんて心情になるのだから、どれだけあの男の邪魔されていたというんだろうか。ふぅと同時に吐いた溜息は深い。
「明日には村を出ましょう。これで珊瑚を取られては堪らん」
「堪らんって法師様。怒り出したりしないでよね」
「我慢しているでしょう。でなきゃ、とっくに殴ってます」
ばか、と珊瑚は笑うけれど弥勒にとってそれは冗談でも嘘でもなんでもない。もし法師という職業でなくて、犬夜叉のように思うまま動ける性質だったなら、とっくに珊瑚に近づけないようにしている。のほほんと育ったアホな長男坊を黙らせるくらい片目を瞑っても簡単。利き手ではなく左手1本でやってもいいくらいだ。
   
「ふふ。法師様がヤキモチ妬いてる」
「なにが可笑しいんですか」
   
しつこく付き纏われていたときは不機嫌な顔をしていたくせに、こうして2人になってからの珊瑚は普段あまり見ないくらいの上機嫌だ。きりりとしても美しいけれど、こうして笑っていても可愛らしいとは本当に恐ろしい女!と、そんなこと本気で思ってしまう自分もアホな長男坊いや、相吉朗と負けないくらいにアホだと、弥勒は自嘲する。だけど、こんな自分が嫌いじゃない。
   
「だって、前の法師様なら、そんな風にはならなかった」
  
「前のわたし?」
「幸せにな!って、あたしのこと置いてこうとしたじゃないか」
「…まあ、ね」
そんなこともありましたね、なんて言いながら誤魔化すように弥勒は珊瑚を抱き寄せた。ぎゅっと力を込めると緊張からか照れからか体を強張らせる珊瑚が愛らしい。
別にあの頃だって心から「お前の幸せのために身を引くよ」なんて聖人ぶったことを思っていた訳じゃない。ただ今は「生きたい理由」と「生きる意味」がある。珊瑚が「共にあること」それを望むから、なんて他人任せなようだけど、これが実は弥勒にとっては1番大切で必要なこと。望みに応えてやりたいという強い気持ち、今まで持ったことなんてなかったから。
もう自分から珊瑚を手放す気なんて、さらさらない。
  
「それにしても、お前も物好きですね」
「な、なんで?」
腕の中、もそもそ動いて顔をあげた珊瑚の仕草が妙に子供っぽい。頬が真っ赤だから、尚更かもしれないけど。
「村一番の金持ちなんて、玉の輿だぞ」
「法師様ってホント、金とか権力とか好きだね」
「好きですけど、珊瑚が1番好きですよ」
ばか、と再び照れて言う珊瑚が可愛くて、弥勒はその熱い頬に優しく口付けた。こんなにも幸せなのに、屋敷に戻ればまた嫌な光景を見せ付けられると思うと気が重い。珊瑚は毎度こんな気持ちになっているのだろうか。これからは自分の女好きも少し自重しようと思った。
   
   
   
   
   
案の定、屋敷へ戻ると目を輝かせた相吉朗が珊瑚へと駆け寄ってきた。何度見てもイライラする光景だけれど、宿も飯も世話になっている以上そう大きな態度が取れるわけもない。横目で見ながら、弥勒は本日何度目かの溜息を吐いた。
「相吉朗殿。明日にはここを発とうと思います。お世話になりました」
「珊瑚は、珊瑚は残ってくれるのだろう?」
そうだよな?と信じて疑わない相吉朗はもしかしたら、アホではなくて少年の心を忘れない清らかな人間なのかもしれない。なんとも面倒な人間がいたもんだ、と弥勒は珊瑚と相吉朗の間に割って入った。珊瑚を隠すように前へ立ちはだかり、改めて相吉朗と目を合わせる。弥勒ほどではないにしろ、相吉朗だって整った顔をしている。言い寄ってくる女など、いくらでもいるだろう。
   
「相吉朗殿。何度も言いましたが、これはわたしと祝言を挙げる約束をしたおなごです」
「それがどうしたというのです。約束は約束でしょう?」
どうあっても、聞き入れる気はないらしい。珊瑚が言っても聞かないのだったら一体どうすればいいんだと、弥勒は頭が痛くなる。そんな弥勒を追い詰めるかのように、相吉朗は続けて口を開いた。
   
「それに法師さまは明日の命かもしれぬ身。遺される珊瑚が哀れではありませんか」
   
さて、どこから風穴のことを知ったのか。後ろに居た珊瑚が反論しようとしたのを手でそっと制して弥勒は目を伏せた。相吉朗の言うことは決して間違ってはいない。それに、ただの一般人から見れば寿命うんぬんの前に、風穴は異形のものだろう。妖怪が断末魔の叫びをあげて吸い込まれるなんて、恐怖以外の何でもないだろうし。
「ここに残る方が珊瑚は幸せではないでしょうか?」
「はて、」
「先に死に行くかもしれぬのにそれまでは珊瑚と、なんて法師さまの身勝手では」
身勝手はどちらだ。よくもぬけぬけと分ったようなことを言えるものだ。ふつふつと怒りが沸く一方で、それも正論に違いないと妙に弥勒は納得していた。
だって、それもそう。妖怪退治をしている限り命は明日途切れるかもしれぬけれど、珊瑚は生きていける健康で強い体を持っている。どこかの村に留まれば、それこそ腰が曲がるまで生き天寿を真っ当できるかもしれない。だが、弥勒は違う。違うのだ。
なんの病も持たないこの体が消えてなくなる期限がいつも目に見えている。
   
「では相吉朗殿。珊瑚の幸せとは?」
「この平和な村でわたしと共に、生きていけばきっと」
力強く、相吉朗は言った。
   
「きっとでは困ります。必ず、絶対、この娘を幸せに出来なければ」
弥勒にとって、怖いものは死ぬこと1つではない。最近になって、怖いものはいくつにも増えた。珊瑚が死ぬこと。珊瑚を遺すこと。珊瑚を奪われること。その他たくさん。
だけど、弥勒はもし珊瑚が自分と別の誰かと生きることを本当に望んだのなら、その時はじたばたせず潔くその背を見送る覚悟をしている。男としてそれくらい出来ずに、なにが「愛している」のだだろうか。それが珊瑚の幸せならば、弥勒は自分の心が引き裂かれようと、構わない。
だが、珊瑚が望むのはただ「弥勒」だけ。自分が生き延びることこそ珊瑚の幸せだと気付いてしまったから、弥勒はそう簡単に死ねない。あの時のように、誰かの元へ無理やり置いて行くことなど、もう出来ない。
   
手放す気はない。珊瑚が共にあることを望み続ける限り弥勒は自分からその手を放さない。
   
「法師さまなら珊瑚を幸せにできるのですか?」
「ええ」
「そんな保障がどこにありますか」
     
食い下がらない相吉朗。ここまで言われてはもう、建前で丸め込めはしない。ならば根本から全てを教えてやらねば、この男に話は通じないだろう。ちらり、と斜め後ろで困惑した表情を浮かべている珊瑚を盗み見てから、弥勒は心の中で「すまない」と謝った。
これから言うことで、珊瑚はきっと心を痛めるだろう。その優しく繊細な心を。
   
「珊瑚の幸せは、わたしと「共に」あることです」
「ですから、共にある保障など法師さまには」
「まだわかりませんか」
ぎゅっ、と後ろで袈裟が握られるのを感じた。言わんとしていることを、珊瑚は気付いたのだ。
   
「生きることを諦めてなどおりません。それでも万が一の場合はあります」
「まさか!」
   
「幸せの意味は珊瑚自身が選ぶ。珊瑚が共に在ることを望むのはわたしだけです」
   
共に「生きる」そして「死ぬ」。どちらであろうと、珊瑚が望むのは弥勒と「共に」あることのみ。それを弥勒は受け入れる。風に呑まれる瞬間きっと珊瑚を連れて逝くことを後悔するだろう。それも珊瑚が望み、共にいてくれるのならばそれをも受け止めなければならない。いつだっただろう、「置いて行くくらいなら」と縋って泣いてくれた。
その言葉に酔うわけでもなく、妖怪たちがすぐ目の前に来ておめおめ逃げ出すわけでなく。あのとき珊瑚は確かに、弥勒と逝く覚悟を決めていた。だからこそ、弥勒も心を決めた。
    
応えよう、と。
   
「わかっていただけましたか。それでは失礼いたします」
相吉朗からそれ以上、反論の言葉が出てくることはなかった。それでは、と弥勒が相吉朗の横をすり抜けると、珊瑚も小さな会釈をしてその後を追った。
   
   
   
  
  
「法師様」
「ん?」
なんのことない。声と同じ涼しい顔をして弥勒は振り向いたが、すぐ目を伏せる。珊瑚があまりに悲しい顔をしていたから、直視することができなかった。こんな顔をされると予想けれど、いざ目の前でこうなると胸が痛む。珊瑚の心を傷つけた。
「すまなかった、珊瑚」
「うん」
「わたしとて、諦めているわけじゃないよ」
    
「わかってる」
わかっていても聞けば嫌でも想像してしまうだろう。見たくもない万が一を。
珍しく自分から、珊瑚は弥勒にぎゅっと抱きついた。袈裟を握り締める姿は本当に子供のように見えて、弥勒は微笑む。頭を撫でてやると、更に甘えるように珊瑚は頬を摺り寄せた。
   
「ありがとう、」
「なにさ」
   
「お前がいるからわたしは生きたいと思う。ありがとう」
すると珊瑚は顔をあげて、そっと微笑んだ。
   
「ありがとう。法師様」
   
   
  
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我が家の法師の嫉妬はレベル低いようです。情けない!
今更オンリーユーネタを引っ張りました。