| なつゆく
「ねえ、変じゃないかな。かごめちゃってば」
「変じゃないわ。ぜーんぜん。」
全身鏡の前で、くるくると回る珊瑚の仕草や行動はいつになく子供染みていた。いつもは同い年の子たちよりも大人びているのに。今日はどうしてだろう。珊瑚のことが妹のように見えて、かごめは微笑まずにいられなかった。
この日のために買った浴衣は何時間も悩んだだけあって、珊瑚によく似合っている。黒地に赤やピンクの大きな花がいくつも描かれていて、まるで珊瑚のためだけに作られたみたい。こんな姿を見たら、どんな男の子だって目で追わずにはいられないんじゃないだろうか。今日「彼」が一体どれだけの苦労をして、どれだけ幸せな気分になるのか、かごめは容易に想像できた。
浴衣の雰囲気に合わせて、すでに髪も結ってある。指通りがよすぎる珊瑚の髪に、かごめはかなり悪戦苦闘したけれど、大きくて可愛いお団子が無事に珊瑚の頭上に完成した。その出来栄えは「我ながらよくやった」とかごめが自分を褒めてやりたくなるほど。2人で選んだヘアアクセサリーが、珊瑚がくるくる回るたびに軽やかに揺れている。
「あんまり動くと、崩れちゃうわ。」
「だって、気になるじゃないか。」
「それもそうか。初デートだもんね。」
かごめは優しい気持ちにならずにいられなかった。だってかごめは珊瑚の甘酸っぱい初恋も、弥勒の隠れた誠実さも知っている。2人とも吃驚するくらいに互いを想いあっていて、それは第三者のかごめにすら強く強く伝わってくる程だ。なのに、どうしてか互いだけがそれを知らない。いや、弥勒は知っているだろう。珊瑚がどれだけ自分を想っているのか。知っているのに、いつだって気付かないフリをして、珊瑚から向けられる真っ直ぐな視線からのらりくらりと逃げる。
だから本当に今日、珊瑚から「花火に誘われた」と聞いたとき、かごめは嬉しくて仕方なかった。それこそ自分のことみたいに、いや、自分のこと以上に。
「で、でもさ。かごめちゃん。」
「なあに?」
こちらの忠告も聞かず忙しく動いていた珊瑚が、急に大人しくなってかごめの横に腰掛けた。
「先輩。どういうつもりなのかな。」
不安そうな横顔。今日という日への嬉しさと戸惑いが入り混じった表情は、同性であるかごめですら胸が高鳴ってしまうほど美しかった。恋をすると女の子はこんなに綺麗になるのだろうか。珊瑚は元々とても綺麗な女の子だったけれど今日はいつもより、いや、これまでのどんな日より綺麗だった。
「弥勒先輩だって、普通の男の子よ。」
「なにそれ。」
「珊瑚ちゃんと一緒ってこと。」
かごめは1度、弥勒を問い詰めたことがある。自分でも無粋だとは思ったけれど、弥勒の曖昧な態度に振り回される珊瑚を見続けるのは、どうしても耐えられなかった。かごめにとって、珊瑚は高校に入って初めて出来た友だちであり、今では唯一無二の親友だ。おまけに弥勒の女癖の悪さは数年の付き合いで充分に知っている。もし珊瑚のことが遊びだなんて答えなら、引っ叩いてやろうと本気で思っていた。
しかし、やがて観念した弥勒が告げた一言にかごめは心底驚いた。まさか、そんな言葉が出てくるなんて夢にも思わなかったから。
「好きすぎて、こわい」
女遊びばっかりしているような、どうしようもない男だった筈なのに、その時の弥勒は初恋に苦しむ少年だった。そうさせたのは、たった1人の女の子。しかも年下で、初めての恋に苦しんでいるような初心な女の子。数多の女をその毒牙で弄んでおきながら、今更そんなのが「こわい」だなんて。
けれど、その時の弥勒は今まで見たどの彼よりも素敵だった。かごめが心を持っていかれそうになるくらいに誠実で、真っ直ぐな瞳をしていた。弥勒をそんな風に変えた世界でたった1人の女の子は、弥勒のこととは関係なく、かごめにとって大切な友だち。
不器用な2人の恋の行方を見守って行こう、かごめはその時、そう決めた。
「先輩はあたしより、大人さ。ずっと。」
「そう?」
「今日だって、ただの気まぐれかも」
大丈夫、そう言ってやりたい気持ちを、かごめは堪えた。こんな風に自信をもてない珊瑚を安心させられるのは弥勒だけだ。他人が口を出すことではない。それにきっと弥勒はなにかを決意したんだろう。だから、初めて珊瑚をデートに誘ったんだろう。ならば、かごめに出来ることはない。
珊瑚が望むまま、今日という日が最高の1日になるように精一杯、送り出すだけ。
「大丈夫。きっと、いい1日になるわ。」
珊瑚は美しい。誰もが振り返るくらいに。だけど、その外見を上回ってしまうくらい素晴らしい心を持っている。かごめは珊瑚が本当に好きだ。友だちとして人として、本当に大好きだ。幸せになって欲しい。
窓の向こうの空が、いつの間にか紺に飲み込まれはじめている。夢中だったから気付かなかったけれど、そういえば、もう夜の帳が折り始めているのだ。待ち合わせは19時。もうそろそろここを出発しなければいけない筈なのに、珊瑚の緊張は高まる一方のようだ。伏せた睫が頬に長い影を作っている。夏空を背景にしたそれはとても絵になっていた。
「ねえ、最終チェックしなくちゃ!」
かごめがおどけながら片目を瞑って言うと、ようやっと珊瑚は緊張がほぐれたように笑った。こんな綺麗な笑顔を、弥勒も望んでいるだろう。珊瑚に教えてあげたい。今の珊瑚と同じように、きっと弥勒も緊張した顔で待ち合わせ場所に向かっているだろう。
だけど、もしかしたらプレゼントの1つくらい持っているかもしれない。そっちの方がよっぽど彼らしい。
慣れない下駄は歩きにくいけれど、はやる心は前に前にと足を踏み出し続ける。だが、それとは裏腹に臆病な心が叫んでいる。こわい、こわい、と。そんなものと戦いながら、珊瑚は歩いていた。心臓は待ち合わせ場所に近づにつれて、大きく大きく響く。もう爆発してしまいそうだ。それか到着する前に高鳴りすぎて止まってしまうんじゃないだろうか。珊瑚は不安になった。
だけど、心臓が爆発してしまっても構わない。会いたい。
今日のことを一生忘れない。珊瑚はそう心に強く誓った。風から夏の匂いがする。
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残暑見舞い申し上げます。暦の上では秋になりましたが、まだ暑いですね。フリー配布です。
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