| さよなら
部屋の荷物のだいたいは片付いている。何年か暮らした部屋だけに思い出は深いけれど、出て行くことに後悔はない。今ここにあるのは何個かのダンボールと今日明日分の衣類や生活用品がいくつか。部屋であった筈なのに、こうなってしまうと大きな箱のようで、なんだか不思議な感じがした。
「ふぅ」
急に手持ち無沙汰に思って、近くにあるダンボールに手を伸ばした。そこには珊瑚にとってよく見慣れた、まさに書いた本人を表すかのような整った字で「思い出」と大きく書かれてある。この箱を開きたくなるのも明日と言う日が来るからか。どうしてだろう、急に切なくなる。
ダンボールの中には書かれた品名通り、ここ数年間の思い出が詰まっていた。
これを片付けたのは彼だった。「懐かしい懐かしい」と言いながら1人で片付けていたけれど、そのとき珊瑚は他の片付けに追われてたから一緒に思い出に浸りはしなかった。
今になってやっと箱を開いた珊瑚は丁寧に丁寧に詰められたものたちを見て思わず笑みを零す。珊瑚があれやこれを一生懸命に片付けるのを手伝いもしないで、彼は思い出を1つずつ仕舞っていた。それもこちらが驚くくらいに丁寧に、だ。もう知りすぎるほど知っていると思っていたのに、こんなに可愛いところがあるとは知らなかった。
何冊もあるアルバムの1番最初を開くと、まだ幼い顔をした2人がいた。あの頃は彼のことがとても大人に見えていたのに、こうしてアルバムで振り返ってみると、すごく子供だった。ページをめくるたびに少しずつ子供から大人になっていく自分たちを見て、珊瑚は改めて気付く。
あっという間に過ぎていった数年間が実はとても長い長い年月だった、と。
箱の中の全てのものに思い出が詰まっていた。彼が高校生を卒業するときにくれた制服のボタン。いつだったかプレゼントされた香水の空き瓶。ヒモが千切れてしまったストラップや、少し色褪せた手紙。全てが青春臭くて恥ずしくなる。
思わず箱を閉じかけたとき、インターホンが鳴って珊瑚は立ち上がった。もう夜の11時を回っているというのに一体誰だろうと考えかけて、やめる。こんな時間に連絡もせずに突然やって来る人間なんて1人しかいないじゃないか。ドアを開けると、案の定そこには彼がいた。
「こら、確かめてから開けろっていつもいつも言ってるでしょ」
「分ってるよ、いつも確かめなくても」
毎度毎度お決まりの文句を言いながらも、彼はさも当然の顔をして珊瑚の部屋へと上がり込んだ。ここへ来るのは片付けを手伝ってもらったとき以来だから、3日ぶりだろうか。前に会ったときよりも少し疲れた顔をしている気がするのは、彼も彼で片付けやすることが山ほどあるからだろう。
「で?何の用?どうせ明日も会うっていうのに」
もう出す茶すら片付けてしまったというのに一体なんだっていうんだ。少し嫌味のつもりで言ってみると、彼は笑って手にもっていたコンビニのビニール袋を珊瑚に見せ付けた。テーブルもないから床に置いた袋からはロング缶のビールが2本と、軽いつまみ。そして2こ1セットの苺のショートケーキが。
ビールを持たされて無理やり乾杯。さらにプラスチックのフォークを手渡されて、珊瑚は眉を顰める。彼といえば珊瑚の様子を気にすることもなく、1人で気持ちよさそうにビールをぐいぐい飲み、忙しくつまみを口に運んでいる。
「え?なに?どうしたの?」
「いや、別に」
「別にってことないだろ突然」
彼はしばらく黙ってつまみを食べ続けていた。だけど不意に手を止めて珊瑚をじっと見つめる。今までのふざけた雰囲気と一変したその顔に一瞬ドキリと胸が鳴った。まさか、よくない話でもあるのだろうか?と不安が胸を締め付けて缶を持つ手に力が入った。缶から乾いた音して、それが妙に静かになった部屋に響く。
「――いや、こうして珊瑚に会うのも今日が最後だと思うと、寂しくてね」
「最後?」
それってどういうこと?喉まで出てきた言葉をぐっと飲み込んで珊瑚は彼を見つめた。より鮮明に嫌な想像が頭を駆け巡って怖くなる。まさか全てを覆す言葉が出てくるのだろうか、そう思うと何かが頭の中で崩れる盛大な音が聞こえた気がした。
「なに泣きそうな顔してるの。お前」
自分でも視界がじんわり揺れたのを認識し始めた頃、彼がようやく微笑んだ。
「だって、最後って、会うの、」
「変な想像するんじゃないよ。馬鹿。」
「え?なにさ。馬鹿。」
ぐい、と目じりの涙を拭われて珊瑚は唇を噛む。もう出会ってから何年も経って、大人になったというのにまだ子供扱いするなんて。でもその仕草がいつもと変わらず優しくて珊瑚はホッと胸を撫で下ろした。どうやら頭を駆け巡った「最悪の内容」ではないらしい。
珊瑚の目じりに触れてる彼の手がゆっくり撫でるように頬へと滑る。
「恋人の珊瑚に会うのは今日で最後でしょ」
「え、」
「明日からお前は、おれの奥さんの珊瑚」
ああそう言う意味だったのか、と理解してまた泣きそうになった。付き合ったときもプロポーズのときも、そして今日もどこからそんなクサイ台詞が出てくるのか。そう思うのに、湧き上がった嬉しさはそのまま心から溢れてしまいそうだ。
どこか夢心地で過ごしていたのは、きっとお互い様なのだろう。今日こうしてビールとケーキを買ってきたのは彼なりの小さなパーティーであり、確認だったのかもしれない。
もっと盛大で派手なパーティーもケーキも数ヵ月後に控えているけれど、今はこの陳腐な味のケーキで充分な気がした。
明日になったら新居へと引越し、2人で婚姻届を出しに行く。
これから迎える新しい2人の歴史。きっと幸せなだけではない。泣くこともあれば嫌になることも、それこそ目も合わさなくなる日がこれから先くるかもしれない。でもきっと、何があっても共に歩き続けることを望んでしまうのだろう。
出会えてよかった。
-------------------------
上手くまとめたつもりで、実は全くまとまっていないのは秘密です。
6月の花嫁に。
|