これが、


ただ、その日からなにか吹っ切れたかのように、弥勒は変わった。
16歳。初夏の出来事だ。
   
 
 
 
 
 
 
と、ここから少しだけ出来事は過去に遡る。弥勒がまだ高校に入学したばかりの頃だ。
 
弥勒は中学でもモテたが、高校に入ってから更にモテた。周りの友人が羨ましがるほど、とにかくモテた。もちろん弥勒は愛がなくても、そういった行為が簡単に出来ることを知っていた。更に、上手く立ち回りさえすれば付き合ったり、その他の面倒な段階を踏まなくてもいいことも知っていた。弥勒は誰か1人とじっくり向き合うよりも、多数と軽く遊んでいる方が好きだった。
だってそうだろう?例え誰か1人を拒否しても、また次の誰かがいる。あえて1人に絞らなくても弥勒にはいくらだって擦り寄ってくる女がいる。わざわざ1人を選ぶなんて、もったいないように思っていた。
  
中学のとき弥勒はクラスの誰より早く童貞を捨てた。それからというもの、すっかりチャラ男人生一直線の弥勒も、今、少し悩みがある。悩みというには少し大げさかもしれない。どちらかと言えば、それは疑問に近いだろう。とにかく、弥勒には今不満があった。
     
弥勒の周囲に、弥勒よりモテる男はいない。だけど彼らには「彼女」がいる。好きだと照れて笑ったり、下らないノロケ話をしたりする姿は同い年の男にも関わらず、なんだか愛らしく見える。何より、彼らは幸せに満たされているように見えた。
   
弥勒には分らない。彼らをそんな風にしてしまう恋。彼らが可愛いんだと絶賛する「彼女」たちも弥勒からすれば決して、そこまで特別に可愛い訳じゃない。そこら辺に当たり前にいる女の子たちだ。可愛いと言うならば、弥勒の周りにいる女の子たちの方がよっぽど可愛い。
とは言え、弥勒だって頭じゃ理解している。きっと恋をすると、誰よりも可愛く見えるんだろう。心が理解していないのだ。一体、恋って何なんだ。そんな風に頭をオカシくさせてしまう恋。一体、どんな感覚なんだろう。
     
その時の弥勒は女についてはよく知ってはいても、恋についてはまだ何も知らなかった。体ばかりが大人になってゆく中で、心はまるで子供。異性として欲情することはあれど、愛しく思う気持ちなど、まるで理解していなかった。
 
 
 
 
 
だから最近、こう聞くようにしている。
 
「ねえ?俺のなにが好き?」
「全部だよ」
   
我ながら面倒な女みたいな質問だと、呆れる。だけど彼女たちの回答は実におもしろかった。
この子のように全部と答える子が多い中で、ハッキリと顔と言う子もいた。性格だとか、体だとか、その他にも沢山の回答を頂いた。でも、どれも弥勒の抱える疑問に答えではない。
たぶん恋って、感覚的なもの。だから、いくら言葉で聞いたところで理解できるはずもない。それは分っているのだけど、弥勒は割りと理屈的な人間だった。
     
擦り寄る体を抱きながら、弥勒は首を傾げる。
弥勒にとって、女の子たちは皆、平等に可愛らしい。個性は多々あれど、皆、甘い匂いがする。そして、触ると柔らかくて、笑うと心が癒される。それにとても暖かくて気持ちがいい。だから好き。むしろ大好きだ。でも、その好きは「女の子」という生き物に対する感情だ。道行く犬が可愛いだとか、パンより米が好きだとか、それと大差ない。
例えば、いま腕に抱くこの子に「好き?」と聞かれれば「好き」と答える。ただし、そこには注意書きが付くだろう。「好き(※誰にでも言っています)」こんな具合に。
     
それに、もう1つ例えばの話。
この子が今、突然いなくなったところで、弥勒はなんとも思わない。そりゃあ現実的に考えれば警察が面倒だとか、容疑者になってしまうだとか、家族は悲しむだろう、とか色々と思う。けれど弥勒個人で言うならば、どうでもいい。
    
「俺がいなくなったら嫌?」
「絶対に嫌」
   
そんな風には思えない。絶対に。
この子でなくても、弥勒には次の子がいる。ボーっとしていても寄ってくる女の子がいる。そこから気に入った子を摘み食いすることは造作もない。今まで何度もしてきたことだ。だってセックスは楽しいし、気持ちいい。男なら皆、大好きでしょう?弥勒も同じ。
  
つまり、弥勒にとって恋でない。
少なくとも今までそういった行為をした女の子の中に、弥勒が恋をした子はいない。だって、もし恋していたら、きっと今その相手を抱こうとしている筈だ。付き合うという面倒な行為にも喧嘩やら色々あるらしいけれど、弥勒には上手くやれる自信がある。
 
 
恋ってなんだろう?幸せになったり辛くなったり。面倒そうだけど1度くらい体験してみたい。だって実際、いつまでもこんな風にフラフラしてる訳にもいかないだろう。弥勒は不安だった。もし30歳や40歳にもなって、結婚もできずにいたら。
これでも一応、妻や子供との幸せな結婚に憧れてはいるんだから。
 
 
「ねえ弥勒。いつになったら付き合ってくれる?」
 
だからって、妥協しても仕方ない。それじゃ結局、自分は変わらない。
  
「1回チューしてから考えるわ」
「そればっかり」
 
 
ただ、そんな悩みも、この行為の前には塵となって消えてゆく。セックスは楽しくて気持ちいい。どうしても結論が必要なら用意しよう。「全ての可愛い女の子に恋してる」。そんな馬鹿みたいな結論で構わない。男って生き物は本当にアホだ。我ながら思う。
 
 
 
 
 
 
と、その大好きな行為に身を委ねていた弥勒は、鳴り出した携帯によって現実へ引き戻された。いつもだったら電源を切るとかしてるのに、今日はつい忘れていた。シカトを決め込もうにも、どうしてだろうか。妙に気になる。電話の相手だって親だ。どうせ下らない用事で電話してくるから、いつも通りシカト上等のはずなのに、どうしてだろう。気になって気になって仕方ない。
サイレントにしても、イルミネーションの光が着信を知らせている。何だっていうんだ。
  
とうとう負けて、弥勒は電話にでた。
 
 
「なに?」
こんな時なんだっていうんだ。そんな不満が篭った声だった。どうせ「あれ買ってきて」なんてどうでもいい電話だと思っていた。けれど、電話の向こうの母の声がやたら静かで弥勒は違和感を覚えた。弥勒の母はどちらかと言えば、いつまでも少女の様な、子供のような女性だった。
だから、こんな風に声が静かに落ち着いていと、ひどく違和感がある。
   
背筋に冷たいものが走った気がした。
  
  
「弥勒くん今どこ?珊瑚が車とぶつかっちゃってね、今――」
 
 
 
 
母が全てを言い切る前に、思いっきり電話を切ってしまった。聞かなければいけない事は沢山あっただろうに、と後悔したけれど仕方ない。体が勝手に動いてしまったのだ。それに、弥勒はその時はじめて血の気が引く、という言葉の意味を知った。まるで頭をカチ割られるような衝撃だ。
視界がぐらぐらと歪んで、吐き気までしてくる。中途半端に聞いてしまったからこそ尚更、悪い想像が頭の中を駆け巡った。先程までヤル気満々だったものも、すっかり縮み上がってしまうほどだ。血の気が引いた指先は冷たいのに、どうしてか汗をかいた。
  
「弥勒?どうしたの?」
「いや、帰る。」
 
その短い言葉を捻り出すことすら辛かった。まず声が震えないようにすること、それが難しい。だって、頭の中はもう悪い想像で溢れかえっている。母は車と言った。こんな事は考えたくもないけれど、車相手なら無傷じゃないだろう。だからこその電話だったんだろう。もしも死んだら、そう考えてしまった自分が許せない。 
有り得ないことを考えるもんじゃない。
  
弥勒は自分を必死に律しながら、脱ぎ散らかしたYシャツを羽織った。ボタンが何個かズレていても構わない。カバンにネクタイを詰め込んだ。
  
横で女がなにやら言っていたけれど、そんなものはまるで頭にはいらない。とにかく家へ帰ろう。
 
 
 
 
 
珊瑚にもしものことがあったら、犯人は俺が殺そう。弥勒はそう思った。
犯人を殺したところで珊瑚は戻ってこない。そんなことをしても気持ちが癒されることはない。でも、珊瑚を傷つけた人間を許せる訳がない。許せる訳がないんだ。
  
腕がもげてもいい。足がもげてもいい。生きていてくれるならそれで構わない。






弥勒にとって珊瑚は隣にいて当たり前の人間だ。なにせ弥勒が遡れる最初の記憶は生まれたばかりの珊瑚を眺めている一瞬。もちろん物心ついてからも、珊瑚はいつだって傍にいた。今でこそ珊瑚は負けず嫌いで強気な女の子だけど、小さい頃は本当によく泣く甘えん坊だった。
弥勒の後ろを付いて歩き、姿が見えなくなると泣いた。両親と離れるときよりも、弥勒と離れるときの方が激しく泣き喚く程。親たちはその姿が可愛いと笑っていたけれど、幼い弥勒にとってそれは一大事だった。この小さな女の子を守れるのは世界中で自分だけなのだ、と思った。幼心に、珊瑚を本当に愛しく思った。
  
だからこそ、これまで弥勒はずっと珊瑚を守ってきた。守るとは少し大げさかもしれないけれど、珊瑚が求めてくる限り、なんでも応えてやった。珊瑚に手を出そうとする馬鹿な輩も、珊瑚に気付かれないところで黙らせてきた。だってそうだろう?
その男が珊瑚をずっと笑顔にしてくれる男か?そんな訳がない。
   
弥勒は自分よりも珊瑚を想う男がいるはずないと思っている。珊瑚が恋など知らないうち、自分から誰かの元へ駆けていかない限りは誰にも、珊瑚を託す気がない。大切な大切な、宝物のような女の子だからだ。
  
 
家族でもない。異性でもない。とにかく大切だからだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
珊瑚の代わりはいない。いる筈がない。
 
 
 
 
 
 
 
「もー、なんで電話切るの?メール見た?シップは?」
 
家に着くと、母はそう怒っていた。てっきり病院にいると思っていたから、まずそこに違和感。どうしてのんびり家で紅茶なんて飲んでいるんだろう。そんな場合じゃないだろうと声を荒げたくなったのを堪えて、弥勒は母の紅茶を取り上げた。
 
「シップってなに。珊瑚はどしたの。」
 
今にも泣き出しそうな顔をして、そう言う高校1年生の息子を見て母は一体なにを思っただろうか。母は少し困ったような、それでいて申し訳なさそうな複雑な表情をした。弥勒は18歳になった今も、その母の顔を忘れない。いや、忘れられないというのが本当の所だ。思い出すと、マクラに顔を埋めてジタバタしたくなる程恥ずかしい。
  
だから、この出来事以来、弥勒はどんなに焦っていても用件を聞き終わるまで電話を切らない。それを徹底している。
  
母は弥勒からそっと紅茶のカップを取り返した後、少し視線をさ迷わせながら言った。
  
「車に当たって捻挫したから…、シップを、ね。弥勒くんゴメンね。」
「は!?」
「メールもしたんだけど、ゴメンね。弥勒くん。」
  
そんな下らないことで本当に良かった。良かったからこその脱力感。弥勒は思わず、ヘロヘロとその場に座り込んだ。力が抜けるっていうのは、こういうことらしい。
 
 
 
 
改めて母の話を聞いてみて、弥勒は本当に恥ずかしくなった。簡単に言えば、ただただ弥勒の早とちり以外のなにものでもない。学校帰り、珊瑚は車にぶつかった。いや、ぶつかったというのが正しいかも分らない。ただ、車に当たって珊瑚は転んだ。運動神経抜群のくせに、どうしてそこで転ぶのか。とにかく転んで、捻挫した。だが珊瑚の家は両親共働き。そこで、痛む足を引きずって、珊瑚は弥勒の母に助けを求めた。
しかし、元々怪我一つしない弥勒の家にも珊瑚に家にも、こういうときに使える湿布がない。ただそれだけの話だったのだ。
 
母の声がやたら静かだったのは、丁度珊瑚がうとうとしていたから。
 
「珊瑚いま、弥勒くんの部屋で寝てるからね」
「ちょっと、なんでおれの部屋」
 
「いつも女連れ込んでるんだから、いいでしょ」
 
 
お母様。何故それを。
 
 
 
 
 
 
 
 
部屋では母の言うとおり珊瑚が寝ていた。怪我をしたんだ、こうして大人しくしているのが一番いい。
ベットに腰掛けて、弥勒は珊瑚の寝顔を見つめた。中学生といえど、子供の時とちっとも変わらない穏やかで愛らしい寝顔だった。頬にかかる髪を除けてやると、指先に珊瑚の体温が伝わった。その温もりに、心臓が高鳴る。
先程まで、もうこの温もりに触れられないんじゃないかと思っていた。
 
「…よかった、よかった」
  
改めて、弥勒は自分の指先がまだ冷たいことに気付く。こんなになるほど自分は怯えていた。今、こうして珊瑚に触れて生きていることを確かめて、ようやっと安心できる。ツン、と鼻の奥が熱くなる。自分でも驚くけれど、涙が出てくるのだ。生きてて良かった、本当によかった。それだけで泣けた。
 
「珊瑚――」
 
当たり前すぎて、気付かなかった。珊瑚に代わる人間はいない。
珊瑚がいつも隣にいることは決して当たり前なんかではなく、それだけで奇跡のようなこと。珊瑚だけは誰の代わりにもならず、誰も珊瑚の代わりにはなれない。誰よりも、珊瑚だけは特別なんだ。
 
 
誰にも心奪われないんじゃない。弥勒は既に、自分でも気付かぬうちに珊瑚に心の全てを奪われていただけなのだ。ないものを、誰も奪えはしないだろう。ないものを、誰にも渡せないだろう。弥勒は今、ようやく恋を知った。周りのように、心を躍らせる恋とは少し違う。けれど、恋だとハッキリ気付いた。
  
そして、これが叶わぬということを弥勒は知っている。
弥勒が出来ることはただ1つ。今までと変わらず兄として傍にいることだけ。
 
 
 
 
これが、恋?そう、これは恋だ。

 
 
-------------------------
   
 
   
 
母さまと弥勒くんの絡みが一番楽しかった。